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外国為替(がいこくかわせ)とは、通貨を異にする国際間の貸借関係を、現金を直接輸送することなく、為替手形や送金小切手などの信用手段によって決済する方法をいう。
外国為替の取引では、必然的に「自国通貨と外国通貨とを交換する」こととなり、その交換比率、すなわち外国為替相場が成立することになる。狭い意味では、外国為替の手段である具体的な外国為替手形や送金小切手のことを指したり、外国為替相場のことを指すこともある。
また、(やや本来の用法を逸脱するが、)銀行の外国為替業務と言った場合、外国為替相場が関わる外貨現金との両替業務(外貨現金の直接輸送があることが前提)や、外貨預金に関わる業務(国際間の貸借関係を必ずしも前提としない)を含めることが多い。「外為(がいため)」と略称で呼ばれることも多い。
かつて日本においては、対外為替取引きは許可を受けた場合のみ許されるという閉鎖的な為替取引きであったが、昭和54年に法律が大きく改正され、外国為替、外国貿易その他の対外取引が自由に行われることを基本とし、対外取引に対し必要最小限の管理又は調整を行うことにより、対外取引の正常な発展、国際収支の均衡及び通貨の安定を図ることが目的とされることとなった(外国為替及び外国貿易法第1条)。その結果、支払等や資本取引等が原則として自由とされ、例外的な場合に財務大臣の許可を受けなければならないとしている(外国為替及び外国貿易法第16条〜第25条の2)。
外国為替資金特別会計法第1条により、政府の行う外国為替等(外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号)第6条第1項に規定する対外支払手段及び外貨証券並びに外貨債権(外国において又は外貨をもつて支払を受けることができる債権をいう。)並びに特別引出権(国際通貨基金協定第15条に規定する特別引出権をいう。)並びに対外支払の決済上必要な金銀地金をいう。)の売買(国際通貨基金及び国際復興開発銀行への加盟に伴う措置に関する法律(昭和27年法律第191号)第17条の規定による取引を含む。)及びこれに伴う取引(国際通貨基金とのその他の取引を含む。)を円滑にするために外国為替資金を置き、その運営に関する経理を一般会計と区分して特別に行うため、特別会計が設置されている。
円相場(えんそうば)は、円に対する外貨の相対的価値(為替レート)のこと。通常は、外貨1単位に相当する円貨額で表示する(通貨や市場によっては別の慣行もある)。
特に米ドルやユーロ、英ポンドとの比較によって示され、その中でも米ドルに対しての「円の相対的価値」を示すことが多い。
国際市場において、日本の通貨である円の相対的価値が、何らかの意味で基準とみなされる水準よりも高い状態を「円高」、逆に低い水準であるとき「円安」という。分かりやすく言えば、今まで1ドル120円だったが、1ドル115円になった場合には、円高になる。つまり、より少額の「円」で、1ドルと交換できるようになる訳である(同じ円貨額でより多くのドルを買えるようになったと考えると、通貨価値が上がったということが理解されやすい)。
2006年現在、110円以下になったときには、明確に円高という。円高の際には、日経平均株価は急落することが多い。また、輸出産業の業績が悪化し、輸入産業の業績が好調となる。
輸入するときには、今までより安く仕入れる事ができるので、コストが削減できる。
輸出するときには、円が高いために買ってもらいにくくなるため、利益が減少する。
2006年現在、120円以上になった時には、明確に円安という。円安においては、日経平均株価は急騰することが多い。また、輸入産業の業績が悪化し、輸出産業の業績が好調となる。
輸入するときには、今までより高く仕入れなくてはならないので、コストが余計にかかる。
輸出するときには、FX 取引
が割安なので買ってもらいやすくなり、利益が増大する。
数字が大きいほど円高1949年〜1971年8月 円ドル固定レートの時代
戦後、日本はブレトン・ウッズ体制の下で1ドル=360円の固定相場の時代となった。
第2次世界大戦の後、アメリカは、FX
の中で西側世界のリーダーとなり、経済的にも繁栄しドルが基軸通貨となった。1960年代になるとベトナム戦争への膨大な出費などからインフレが進み、ドル不安が起こるようになった。ドル不安は1971年8月15日のニクソン・ショックで表面化した。
1971年12月〜1973年前半 スミソニアン体制
ニクソン・ショックの後、スミソニアン協定でドルの切り下げが決められ、1ドル=308円となった。
1973年2月 変動相場制への移行
ドルの固定相場制の維持が困難になり、日本は1973年2月に変動相場制に移行した。変動相場制の導入直後に1ドル=260円台まで円高が進んだが、1973年秋のオイルショックで 1ドル=300円近辺まで戻り(有事のドル)、1976年末頃までしばらく安定の時代となった。
1977年〜1978年末
この頃、円高が進み、はじめて1ドル=200円を突破した。1978年末頃には一時1ドル=180円を突破した。
1978年末〜1985年
アメリカのカーター政権下でのドル防衛政策の他、イラン革命の進行によるオイルショック懸念、ソ連のアフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル=250円付近まで円安が進んだ。以後しばらく200円〜250円で推移した。
1985年〜1988年末
1985年秋のプラザ合意によるドル安誘導政策で急激に円高が進行した。プラザ合意発表直後に円ドル相場は20円ほど急騰し、1985年初には250円台だった円相場が1986年末には一時160円を突破した。その後も円ドル相場は史上最高値を更新し続け、1987年2月のルーブル合意でドル安に歯止めかける方向で合意したもののしばらくドル安が進み、1ドル=120円台にまで上昇した。国内では、激しい円高の影響で輸出産業が打撃を受ける一方で、(当時としては)超低金利時代を背景に金余り現象が発生し、バブル景気へと向かった。この時期、OPECの弱体化で原油価格も大幅に下落し、円高とあわせて、国内経済は原油相場の影響を受けにくくなった。
円ドル相場は円安傾向となり、120円台から160円付近まで下落した。この頃、国内はバブル経済の最盛期に向かう一方で、世界的には冷戦時代が終結に向かいつつある時期でもあり、天安門事件、東欧革命、ベルリンの壁崩壊など歴史上大きな事件も進行していた。
1990年〜1995年4月 超円高
湾岸危機など短期の上下はあるものの、FX
的には円高で推移した。1990年初から東京市場の株価が暴落し、バブル景気に陰りが見え始めた。海外投資や輸入が収縮する一方で輸出は依然強く、円高が進行した。1994年にはじめて1ドル=100円の大台を突破し、1995年春には瞬間1ドル=80円割れの史上最高値を記録した。
超円高から円安へと向かった。1998年秋には一時1ドル=140円台まで下落した。国内ではバブル経済崩壊後、不良債権や金融機関の破綻などさまざまな問題が表面化し、1997年秋には大手証券や銀行の破綻など危機的な状況となった。また、海外では、1997年夏のアジア通貨危機や1998年夏のロシア財政危機などの事件が起こっていた。
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